2020年12月21日

師匠だった黛敏郎さんへの思い

3〜16歳までの長きにわたり毎週土曜夜に来て、
ピアノや作曲を教えて頂いた日本を代表する作曲家だった黛敏郎さん。

母と僕は何故か知らないけど「おじ」と呼んでいたが、
それがそれは死ぬ程怖くて。。。
何度も部屋に閉じこもってボイコットした。
ドリフ8時だよ全員集合の「えんや〜こらやのテーマ」は僕にとっては幼少期からおじのテーマ。。
子供の頃は流れるだけでピキピキと恐れてた。。

高校に入って勝手に硬式野球を始めた時は、血相変えて死ぬ程怒られた笑笑。

聴いた人が映像をイメージ出来る様に、ピアノを、音を表現しなさい。
曲の譜面に書いてある事は参考だけでいい。
時には作っちゃったっていいから個性をつけて、
貴方が感じた貴方だけのドビュッシー、ショパン、リストを弾きなさい。

僕が27の時何の恩返しも出来ぬまま病気で68で早逝され本当にショックだった。

教えてもらった沢山の事。。今もはっきりと覚えています。
心から感謝してます。

#黛敏郎 #題名のない音楽会 #ピアノレッスン #作曲レッスン #ピアノと野球 #ありがとう

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posted by TAROかまやつ at 16:50| 東京 ☀| 音楽 | 更新情報をチェックする
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